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 聖書の主題である福音(良き知らせ)とは何でしょうか?
  
  1.神は私達を愛してくださっている
    「神は愛です」という聖書の言葉は、この天地万物を創造された神様がどのようなお方であるかを表しています。
    神様は大いなるお方ですが、同時に空の鳥や野の草にさえこころくばりをされる優しいお方です。
    神様は私達を心から愛しておられ、私達が平安に満ちた人生を生きることを願っておられます。
    また神様は、私達が地上の労苦から解放され、神様と永遠の幸いなる時を過ごすことができるすばらしい天国を用意
   しておられます。  神は愛です。(ヨハネの手紙第一4章16節)
 
  2.私達はみな罪人である
    「罪から来る報酬は死です」という聖書の言葉は、一見非常に厳しく思えますが、この言葉には神様の愛が込められて
   います。私達は、みな聖い神様の御前に罪人です。神様は、私達の人生から幸せを奪い、死後のさばきをもたらす罪を
   心から憎まれます。
    罪とは、犯罪を犯すことや人を憎んだり妬んだりすることではなく、神様に背を向け自己中心的な的外れの生き方をす
   ることであり、それが様々の問題を引き起こし、私達を苦しみ、滅びへと導きます。
    しかし神様は、私達罪人を愛し、罪のもたらす滅びから私達を救うためにイエス・キリストをこの世に遣わしてくださっ 
      た
のです。
    罪から来る報酬は死です。しかし、神のくださる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。
   (ローマ人への手紙6章23節)
  
  3.キリストは私達の罪の罰を身代わりに受けて十字架にかかられた
    十字架は、キリスト教の象徴であり、様々な場面で愛を表すものとして用いられていますが、当初は人々に恐れられ、
   忌み嫌われる死刑の道具でした。ではなぜ、そのような変化が起こったのでしょうか?
    それは罪のない神のひとりごイエス様が、私達の罪の罰を身代わりに受けて十字架にかかり、墓に葬られて後、
   三日目に死に勝利して復活されたからです。イエス様の十字架に、私達罪人に対する大いなる愛が現れたのです。
    そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。(ペテロの手紙第一2章24節)
 
  4.キリストを信じ受け入れるならば、罪が赦される
    私達は自分の罪を悔い改めて、イエス・キリストを自分の救い主として信じ受け入れるならば、全ての罪が赦され、
   神の子どもとされ、永遠の滅びより救われます。
    救いは神様からの愛のプレゼントですから、私達は救いを勝ち取るために何かをする必要はありません。
    ただ自分の罪深さ、弱さを認め、へりくだって神様の愛を受け取るだけでよいのです。
    なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくだ
   さったと信じるなら、あなたは救われるからです。(ローマ人への手紙10章9節)
 
  5.救いは決して失われない
    神様は、イエス・キリストを信じ、神の子どもとなった私達を心から愛し、見守ってくださいます。
    どのような時も、主イエス様は私達と共にいてくださるのです。
    見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。(マタイの福音書28章20節)
 
    私達は、いつでも、どこでも、神様に祈りを通して自分の信仰を明らかにするならば、救われます。
    是非、次のように祈りましょう。
   
   「神様、私は罪人です。今日、イエス・キリストが十字架の上で死なれ、復活されたのは、私の身代わりであり、
   私の罪が赦される(ゆるされる)ためであったこと知りました。私は、今、キリストを自分の救い主として信じ受け
    入れます。どうか私の罪を赦し、神の子どもとしてください。アーメン(確かに、その通りですという意味)
 
   もっと知りたいとことや質問がある場合は、メールなどで遠慮なくお問い合わせください。
   また、是非教会の礼拝にお気軽にお越しになってください。
   聖書を4回シリーズで分かりやすく学ぶことができます。
   神様の祝福をお祈りしています。
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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